壬生寺(みぶでら)は、新撰組の本陣になったことで有名です。
新撰組に乗っ取られたと思っていたら、近藤勇の像などがあり、乗っ取られたわけではないんだと思いました。
壬生寺のあるエリアは島原とも呼ばれます。
京都中心部に住んでいた大勢の人たちに、豊臣秀吉が壬生寺近くに引っ越しを指示したことで、まるで「島原の乱」のときのような大混乱のなかで人々が移動したことが名付けられた由来です。島原と呼ばれているだけで、地名ではないのでややこしいです。京都地図で島原を探してもみつかりません。
この島原には、「太夫(たゆう)」がいまして、年に一度(6月)太夫(現存の花扇太夫:本物です)が壬生寺詣で(もうで)をするのですが、その話は別の機会に。
といっても、いつだと言われると約束できないので、ちょっとだけよと掲載します。
新撰組の乱暴狼藉(ろうぜき)により関係が悪化した壬生寺と島原の関係修復を太夫が行っているのです。
なお。太夫とは舞妓や芸妓とは別の存在で、官位を持ち宮中(京都御所)に出入りする資格を持っていました。
さて、本題の壬生寺の節分です。
壬生寺の境内では。鬼が出てきて豆まきはありません。
代わりに、大勢の山伏がやってきます。
京都でも、山伏は滅多に出会う機会はありません。
そのころ、壬生寺の境内では大勢の人たちが素焼きの大皿に墨でなにやら書いています。
これが、壬生寺名物の焙烙(ほうらく=ほうろく=素焼き)の厄除け祈願です。
焙烙皿の裏面には「厄除け」「大念仏」などと書かれています。
人々は、皿の表面に、厄除けしたい家族の名前とお願い事を書き込んでいるのです。
この大量の皿は、その後どうなるのか?
境内の中に演舞場があります。
ここでは、古来の壬生狂言(無言劇)が年3回開催されますが、1回は節分会の2月2日と3日に開催されます。
この狂言は有料で観覧できますが、観覧席からの撮影は禁止なので、画像がありません。
でも、なぜかYouTubeに動画が掲載されているので許可を得て載せているか、モラルのない人が勝手に載せているのでしょう。
壬生狂言が始まる時、舞台の前面に大量の焙烙(ほうらく)が積み上げられています。
最初の演目で、この焙烙皿が、3メートル下に落とされ、粉々に砕けるのです。
これで、厄(やく)を払うのです。
壬生寺の節分でした。
壬生寺の公式ページ
http://www.mibudera.com
壬生寺の場所
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