大河ドラマ真田丸で脚光をあびる
2016年の大河ドラマ真田丸が、残り2回で終わる季節になってしまいました。
もう1ヶ月で今年も暮れるのですね。
今年初夏に、真田丸に度々登場した長野県上田市の上田城に行きました。
今頃になって画像をアップしても遅いのですが、真田丸が終わる前になんとかアップしておきます。
大河ドラマ”真田丸”をご覧になっている方はお分かりかと思いますが、真田一族は、長野県、群馬県にわたりいくつもの城を所有していました。
上田城は、真田幸村の父親である昌幸が、新潟の上杉謙信と戦うという理由で徳川家康に建てさせた、曰く付きの城です。
結局、家康が上田城を強固に造ったため、その後、家康は上田城を2度攻めるのですが落とせなかった。
江戸時代にほとんど破壊され、櫓(やぐら)が一つだけ残った
現在の上田城は、上田城址公園として整備されています。
上田城は、徳川軍が攻めても落とせなかったほど強固だった理由の一つが、前面の千曲川(尼が淵)が天然の堀となっていたのです。
江戸時代、上田城を破壊した時、この堀も埋め立てられてしまい、現在は公園の駐車場になってしまっています。
堀を埋められると、城は要塞でなくなるとわかります。
(ちょうど、今日の真田丸は、大阪城の堀が埋められるという回でした)
残った当時の櫓(やぐら)です。
上の写真では、左側の建物になります。
近年になって、正面の門と櫓が復元され、城らしくなっています。
伝説の真田井戸
城門を入ると、正面に真田神社があります。
真田神社の裏には、城内から城外に出入りできた問いいう伝説の真田井戸があります。
上田城が破壊された時、埋め立てられたのかのしれませんが、現代の科学で調べれば本当に抜け穴だったかわかりそうなものですが、「伝説」のままの方が夢があるかもしれません。
その他の画像
建物内部の写真を数枚掲載しておきます。
シャチホコのミニサイズ展示物です。