2度目の訪問で雲海が出現した
数年前に突如全国的に有名になった兵庫県朝来(あさご)町の天空の城、竹田城址。
朝霧が出る10月には、まるで雲の上に竹田城址が浮かんでいるように見えるということで、度々テレビ番組で取り上げられるようになりました。
雲海に浮かぶ山城は全国に数ヶ所あるし、そのうち機会があればと考えていました。
今年8月、その機会が訪れ竹田城址に行ってきました。
他の撮影のついでだったので、到着したのは午後。
当然、雲海など気配もありません。
竹田城の山の麓の駐車場に車を停めて、駐車場から山道を歩いて登りました。
なだらかな舗装道路なのですが、結構距離があり、頂上まで遠かった。
今回(10月末)は、雲海に浮かぶ天空の城を見る目的で再度訪問しました。
朝6時、竹田城址の向かいにある立雲峡に到着しました。
竹田の町から山上の竹田城址が霧で見えないということは、立雲峡に登れば雲海に浮かぶ竹田城址が見えるはず。
ところが、立雲峡に登る入り口には警備員が立っており立雲峡の駐車場は満車につき通行禁止とのこと。
山からは、すでにどんどん人が歩いて降りてくる状況。
朝6時ですよ!
登山口近くの私設駐車場にお金を払って、カメラ機材を背負って徒歩で登りました。
山から降りてくる人は、口々に、天空の城が見えたと言います。
焦りましたね。
頂上に近い開けた展望台に着いた時、まだ雲海が残っていました。
もっと早く到着すべきだったと後悔もありましたが、雲海が出ただけでラッキーと思うことにしました。
竹田城址は、東京ドーム3個分の面積がある
テレビや写真で見てきた竹田城址は、他の山城のイメージと重ねてしまい、それほど大きいという印象がなかったのです。
ところが、現地に行って、その石積みの立派なことに驚きました。
石垣ではなく石積みなのです。
石垣というのは、江戸時代の平和な時代に、時間をかけて岩を加工し整形して造った城です。
一方、戦国時代以前の石垣は、整形されない岩を積み重ねます。
大きな岩の隙間に小さな岩が挟み込まれています。これが石積みです。
竹田城が建造されたのは15世紀半ば(1440年ごろ)と言われていますが、石積みを造ったのは滋賀県大津の穴太衆(あのうしゅう)という有名な石工集団だそうです。
穴太衆が請け負った比叡山の延暦寺の石積みが強固だったため、織田信長は延暦寺を攻め落とすことができず、止むを得ず焼き討ちにしました。
それを知っていた豊臣秀吉は、安土桃山城を建造する際に、穴太衆に石積みを任せたというほどの実力ある石工集団なのです。
その穴太衆が手がけたのが竹田城。
竹田城は、山の頂上を削りながら、出てきた岩を用いて石積みを造りました。
つまり、山を削って、その上に石を積み上げたのではなく、山を削りながら上から下に向かって石を積み下げていったということだそうです。
驚きの土木技術なのです。 (以上、現地ボランティア説明員の方から教えていただきました)
竹田城址の場所
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