京都市東山区 耳塚(鼻塚)_秀吉の朝鮮出兵を知る場所

豊臣秀吉という人物は、日本の歴史上の立身出世者という意味では、トップに位置するのではないでしょうか。
滋賀県の長浜城築城に始まり、一生の間にどれだけの城を建てたのでしょうか。

NHKの大河ドラマの主人公に、2度はなっていますね。
脇役としては、もう数え切れないくらい登場しています。実際に、秀吉の土木工事遺構は、数多く残っており、その規模の大きさを見ても、強大な権力を持っていたことが伺われます。

しかしながら、一方で、秀吉主人公のドラマは、晩年の秀吉の、目を背けたくなるような蛮行については、なんとなく触れるか触れないかというところで、ぼやかしてしまいますね。

耳塚は、京都市東山区の豊国神社(とよくにじんじゃ)の門前通りにあります。
耳塚02
有名な、秀吉晩年の朝鮮出兵で、武将の手柄を確認するために、国内では敵の首を取るところを、首では日本に持ち帰れないということで、鼻をそいで塩漬けにして、秀吉のもとに送らせたということです。
耳塚01
問題は、秀吉に仕える武将達が、手柄を誇大に報告するために、朝鮮の軍人だけではなく、民間人の鼻も送ってきたことです。鼻塚では聞こえが悪いので、耳塚と呼んだというから、何をかいわんやといいたいですね。
耳塚03
徳川の江戸時代には、朝鮮との国交が回復し、朝鮮から通信使が派遣されましたが、通信使が京都を通過するときには、この耳塚(鼻塚)を見られないようにカムフラージュしていたそうです。


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