京都市東山区の方広寺(ほうこうじ)には、豊臣家滅亡の原因となった「国家安康(こっかあんこう)の鐘」が現存します。
この鐘については、以前に紹介しました。
kono1.jpアーカイブ 方広寺:国家安康の鐘ページ
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豊臣秀吉が生前に製造を命じた「京都の大仏」は、地震や火事などの災難続きで、秀吉生存中に完成せず、後継の豊臣秀頼がようやく完成させたものです。
大仏の高さは、なんと19メートルもあったとのことで、東大寺の大仏18メートルより大きかったそうです。
ただ、この時は東大寺の大仏が焼き討ちにより焼失したあとなので、東京タワーとスカイツリーみたいに新旧現存して比較ということではありません。
この京都の大仏の開眼式のために造られたのが国家安康の鐘だったのです。
今は、この鐘のほうが有名になって、京都に大仏があったことを知らない人が多いのではないでしょうか。
方広寺を参拝すると、その大仏がかつて存在したことを知ることができます。
本堂の中にある、大仏殿の設計図です。
おなじく、のちに崩壊焼失した大仏の一部分です。
国家安康の鐘の鐘楼(しょうろう)の中の地面に置いてある大仏殿屋根に飾られていた巨大な銅鐸です。
方広寺の敷地の奥にある、かつて大仏殿があった場所です。
今は、巨大な柱があった場所に、柱の土台石があるだけです。
では、京都の大仏様は、どのようなお姿だったかといえば、とても美しい盧舎那仏(るしゃなぶつ)だったようです。
方広寺本堂に安置されている、10分の1サイズの盧舎那仏坐像です
方広寺の場所
京都府京都市東山区正面通大和大路東入茶屋町527−2
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