京都の人もほとんど知らない火祭を、シリーズでお届けします。
京都嵐山の奥には、愛宕山(あたごやま)という山(924M)があります。
この山の山頂には愛宕神社があり、火の神様を祀ります。
日本いたるところに愛宕山とか愛宕神社がありますが、ここがその本社です。
愛宕神社=火の神様と理解すれば良いです。
京都の料理屋さんの厨房には、「火迺要慎(ひのようじん)」という火伏札(防火/鎮火)という紙が貼ってあります。これが、愛宕山に登っていただくお札です。
そこまでは、京都の人も当然知っているのですが、なぜここに火の神様がいるのかというと、話がとてもとても長くなります。
端折って(はしょって)説明すると、昔むかし、大陸から火の神様が日本海の若狭湾あたりに到着し、内陸の京都に向かったのです。
その道が、江戸時代には鯖(さば)の塩漬けを日本海から京都に運ぶ鯖街道(さばかいどう)になっていったのです。(たぶん)
この、火の神様が通った道のあちこちに、今も火祭が残っています。
古代、平安京が京都にできた頃、嵐山を支配していたのは、大陸から来た秦(はた)一族です。高度な土木技術や絹織物の技術を持っていました。
この火祭は8月の送り盆に行われます。精霊(しょうろう)送りです。
これは、五山の送り火と同じです。
私Takataroにとって、想像をかきたてるロマンです。
では、本題です。
花背(はなせ)という村があります。ここが京都市と思うほど、市街地から遠い場所です。
花背とは、花の京都の背中に当たる場所、つまり京都(みやこ)から離れた場所という意味があるそうです。
この花背を通る一本道を車で走ると、唯一の開けた河原があります。
ほとんどの人が気づかないで通り過ぎますが、この河原に、長い棒が横たわっています。
誰も、興味も持たない景色です。
ここが、8月15日の、「花背の松上げ(まつあげ)」会場になります。
「松上げ」とは、松の薪(たきぎ)を放り上げるという意味です。
では、一気に画像をみてください。
8月15日の夕刻です。
サッカーグラウンド2面分はある広い河原に、小さな松明(たいまつ)が無数に立てられ、その中央に、巨大な松明が一本立てられています。
高さは20mといわれています。
松上げ保存会の集会所です。
時刻が近づくと、関係者が集まってきました。
出発時刻になり、男たちが立ち上がると、腰には松の薪(たきぎ)を束ねた手投げ松明を持っています。
これから始まる火祭は、小学校の運動会の「玉入れ」そのものなのです。
松明を手にした男たちが、いよいよ河原の会場に入っていきます。
暗闇に、太鼓と鉦(カネ)の音が響きます。
まず、河原の小さな無数の松明に火がつけられます。
いよいよ松上げの開始です。
長時間露光なので、このように火の玉が線になって写ります。
これは、長時間すぎて、色がおかしいですね。
20mといえば、5階建のビルの屋上くらいの高さがあります。そこに直径2mくらいの藁(わら)の塊があるわけですが、なかなか火がつきません。
いったん放り上げた火が乗っても、落ちてしまうので、観衆から「あぁ、惜しい」という歓声が発せられます。
そのうち、頂上付近に火がつきます。
もっとも盛大に燃え上がったところで、ロープが切られ、20mの柱が横倒しに倒れます。
倒れた瞬間は、まるで爆弾が爆発したように、大きな炎と火の粉が舞い上がります。
祭りが終わると、参加した男たちが、喜びに満ちて帰って行きました。
いかがですか。こんな祭りが京都にあるのです。
次回も、別の場所の「松上げ」をご紹介します。
京都市観光協会の公式ページ
http://www.kyokanko.or.jp/kyogoyomi/08august/gyoji-08august/松上げ/1609
他の場所の松上げの過去ブログ
他の場所の松上げの過去ブログは、こちらです(ご参考にご覧下さい)
美山_盛郷の上げ松
http://kono1.jp/festival/festival12194
小浜市和多田地区の松上げ
http://kono1.jp/nocategory/nocategory12375
松上げ総集編_愛宕山登山
http://kono1.jp/festival/festival12402
花背の場所
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