宮崎県椎葉村 凄まじい執念を感じた、源氏の平家討伐

山の奥地に到着。しかし、椎葉村はまだまだ先だった。

宮崎県で平家祭りがあると聞いて、福岡からバイクで出かけました。福岡から熊本インターチェンジまで100km。熊本から宮崎県椎葉村(しいばむら)まではそれほどの距離はないという感覚でしたが、実際は100km近くありました。
椎葉村に近づくにつれて、標高は高くなり、道は狭くなり、道の両側の山の斜面は急角度になり・・・
道に迷ったかもと不安になって、ガソリンスタンドで道を聞いたら、まだずっと山奥だと言われました。
ようやく到着した椎葉村は、平地がない、山の急斜面に家が張り付いているというような場所でした。

逃れた平家が潜めた、九州でも雪の降る地

椎葉村は、1185年の壇ノ浦の戦いのあと、逃れた平家の落人部落のひとつです。
現在でも山奥の椎葉村は、800年以上昔は、どれほど厳しい環境であったかと思わずにはいられません。

それを象徴するのが、椎葉村発祥の、民謡の稗搗節(ひえつきぶし)です。
栄華を極めた平家一族が、雑穀である稗(ひえ)くらいしか育たない場所に身を潜めたということです。
椎葉平家まつり02

そして、鎌倉から遠く離れた、九州の中心部で冬には雪が降る山奥まで平家討伐の追っ手が来ていたという事実に驚きます。

平家の討伐に向かった大八郎が、平家の姫に恋におちる。

庭のさんしゅの木 鳴る鈴かけて
鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれ
鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょ
駒に水くりょと 言うて出ましょ
那須の大八 鶴富おいて
椎葉たつときゃ 目に涙
和さま平家の 公達ながれ
おどま追討の 那須の末よ

この椎葉平家まつりの主役は、平家の鶴富姫(つるとみひめ)と、鎌倉幕府から平家討伐を命じられた那須大八郎(なすのだいはちろう)です。
椎葉平家まつり01
兄である那須与一に代わり那須大八郎が椎葉村に討伐に乗り入れたのですが、美しい鶴富姫と恋に落ちてしまい、子供ができてしまった。
子供が生まれる前に、鎌倉から帰還命令がきた那須大八郎は、椎葉村の平家を討伐したことにして、鎌倉に帰還しました。
鶴富姫には、男の子が生まれたら、鎌倉に送れ、女の子であれば、鶴富姫が育ててくれと言い残したとのこと。

椎葉平家まつり03
現在の椎葉村の住民の大半は、姓が椎葉さんか那須さんだそうです。


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