岡山県 桃太郎伝説の裏には、壮大な歴史ドラマがある

全国に残る桃太郎伝説

私は、おとぎ話の「桃太郎」といえば、発祥は岡山県と思い込んでいました。
ところが、全国を旅していると、そうではないことがわかりました。
岐阜県、山梨県、福島県、徳島県など、他にも色々あるみたいです。
桃の産地が多いですね。
そして、それぞれの場所の住民は、わが土地こそ「桃太郎伝説発祥地」と信じているのです。
どれが正統かを論じるつもりはありません。
今回は、岡山の「桃太郎まつり」を取材する中で。「うらじゃパレード」という若者の踊りパレードを見て、「うらじゃ」って何?という疑問から話が始まりました、

岡山のうらじゃ

岡山の町おこしのために始まった「桃太郎まつり」は、毎年8月に開催されます。
この祭りの中で、「うらじゃパレード」なるダンスパーフォーマンスが繰り広げられます。
全国各地にある「ヨサコイソーラン」の岡山版と思えばイメージしやすいです。
ヨサコイソーランと異なるのは、踊り子たち全員が、顔に鬼の化粧をしていることです。

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この「うらじゃ」は岡山弁であり、標準語になおすと「温羅(うら)だ!」。

温羅(うら)とは?

【以下の文章には、各所に筆者Takataroの想像が含まれていますので、ご承知願います】
西暦350年に大和朝廷が全国を統一しました。
当時、朝鮮半島には、高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)、百済(くだら)。任那(みまな)といった国々があり、領地を争っていました。

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朝鮮半島をも統一しようと考えていた大和朝廷は、高句麗や新羅とは敵対関係にありましたが、百済とは良好な関係にあり、人や文化の交流も盛んでした。
百済は、西暦660年に高句麗に滅ぼされますが、それまでにも高句麗や新羅から何度も攻められて国民は疲弊していました。
百済から、日本に亡命してきた人々も多数いて、大和朝廷は快く受けいれていたようです。
なぜなら、当時の日本にない高度な技術を持った人々だったからです。

飛鳥時代(飛鳥に都が置かれていた592年から710年)にかけての118年間)と思われますが、
百済からの亡命者の中に、製鉄の技術を持った「温羅(うら)」の一族がいました。
温羅は、一説では王族の家系だったという話もあります。
当時の大和朝廷は、まだ青銅器しか持っていなかった時代です。

温羅の一族が定住地としたのが、吉備(きび)の国、すなわち今の岡山県総社市でした。
吉備の人々は、彼らを温かく迎え入れたようです。
温羅の一族は鉄器を造る技術を持っており、彼らは、鉄で農機具などを造り、吉備の農業発展に貢献していたため、当地のリーダー的存在だったと思われます。

大和朝廷に滅ぼされた温羅一族

ここからが、桃太郎伝説の話になります。
地元の吉備では、温羅一族は恩人のような慕われる存在なのですが、大和朝廷にとっては自分たちがもっていない鉄器を持っている反政府集団(すなわち鬼)とみなしたのです。
そこで、温羅一族を討伐する理由づけとして、吉備の人々から「温羅一族からいじめられて困っているので成敗してほしい」という嘆願があったことにしました。
討伐のために大和朝廷が送り込んだのが、吉備津彦命(きびつひこのみこと)、すなわちおとぎ話で桃太郎と呼ばれる人物でした。

吉備津彦命は現在の吉備津神社のある場所を本陣とし、温羅一族は、鬼城山(鬼ノ城=きのじょう)の山城を本陣として戦いました。
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吉備津神社の境内入口には、吉備津彦命が温羅から奪った矢を置いたとされる「矢置岩」があります。
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吉備津彦命は、部下3名の武将とともに戦いました。
3名の武将とは、
犬飼武命(いぬかいたけるのみこと)=桃太郎伝説の犬と言われる。子孫に犬養毅(29代内閣総理大臣)
楽々森彦命(ささもりひこのみこと)=同じく、猿
留玉臣命(とめたまのみこと)=同じく、キジ(鳥を飼うことが得意だったと言われる)

激戦の末、血吸川において温羅は敗北してしまいます。

勝てば官軍という言葉がありますが、勝った吉備津彦命(桃太郎)は正義で、負けた温羅(鬼)は悪者というおとぎ話になったのですが、この戦いの背景を知ると、温羅は鬼だったのかという、吉備津彦命は良い人だったのかという疑問にぶつかってしまいます。

温羅の山城

岡山県総社市には、「鬼ノ城(きのじょう)」と呼ばれる山があります。
温羅一族の造った山城です。
この山城を知ると、温羅が飛鳥時代に高度な技術を持っていた集団であり、大和朝廷が危機感を持ったことも納得できます。

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鬼城山の頂上近くに「鬼ノ城」があります。
頭に鉢巻を締めたように、高低差の少ない道が一周しています。
この道のいたるところに、様々な遺跡が残っています。
近年、発掘が進むにつれて、その規模の大きさや当時の最新技術設備などが明らかになりつつあります。

【西門(復元建物)】
1500年ほど昔に、この場所にこんな威容のある建物があったのかと驚く。
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【石畳の道】
西門から南門に向かう道は石畳になっている。
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【南門跡】
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【石積みの水門】
城内の水を場外に排出する水路の出口。
すごい建築技術を持った集団だったとわかる。
京都の嵐山一帯を収めていた、渡来人の秦(はた)一族が、桂川の氾濫を土木工事でコントロールしたが、渡来人が水の管理技術を持っていたことが鬼ノ城でもわかる。
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【東門跡】
門の外は断崖で道らしきものは見えない。
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【鍛冶工房跡】
現在は何もない地面であるが、1500年ほど昔に、ここで鉄を精錬して武器や道具を作っていた。
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【屏風岩】
一周1時間以上かかる城廻り周回のほぼ中央付近。
断崖の上に台地がある場所で、見晴らしは抜群。
まさに要塞のような山城。
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【建物群跡】
山頂付近に数カ所に分かれて建物があった跡。
現在は、土台の石らしきものがあるのみ。

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【摩崖仏 十二手観音像】
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順路の途中に、石仏が有ります。
これは。温羅時代のものではなく、江戸時代にお遍路巡りが流行した頃に、地元のお遍路として造られたものです。
この地は、平安時代頃から、仏教寺院が多数建立され、仏教が盛んな地でもあったのです。

「桃太郎まつり」に行って、一番の収穫は、温羅という存在を知ったことでした。
桃太郎は正義と思い込んでこの歳まで来ましたが、中央政府が作った「桃太郎伝説」以外に、吉備には「温羅伝説」が有りました。
物事は、それぞれの立場から見ないとわからないものです。

 

鬼ノ城の場所

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