7月17日日中の「山鉾巡行」が祇園祭だと考えている人が多いのではないでしょうか。
先のブログに記載済みですが、昔、京都に疫病(えきびょう)がはやり、多くの人が亡くなった。これは、大陸からやってきた牛頭天王(ごずてんおう)が怒っているせいだと考えた古代京都の民は、牛頭天王を追い出すのではなく、服従することで、怒りを鎮めてもらい、災いを乗り切ろうと考えたわけです。
服従とは、要するに祀(まつ)りあげるということで、貴方のためにお祭りをしましょう。
その祭りとは、年がら年中、八坂神社にいるのは退屈でしょうから、年に一度は、御神輿に乗っていただき、京都中心部に、1週間だけ小旅行にお連れします。
この1週間のために、四条寺町交差点に「お旅所(おたびしょ)」という名の宿泊所も設けますので、どうぞ、民の暮らしを間近に見て、決して疫病をはやらしたりしないでね。
これが、祇園祭だと、私Takataro的解釈です。
山鉾巡行とは、牛頭天王が四条寺町の御旅所にやってくることを歓迎するために、氏子(うじこ)町が考えた、前座のような位置づけです。
アメリカ大統領などの外国要人が来日すると、首脳会談の前後に、いろいろな催しで歓迎の意を示すというのと同じですね。
長くなりました。
ということは山鉾巡行の次に、祇園祭の本番があるということですね。
これが、今回ご紹介する、八坂神社の神様を、四条寺町交差点の御旅所まで御神輿の乗せてお連れする「神幸祭(しんこうさい)」です。
7月17日の午後4時頃、八坂神社には大勢の人が集まっています。神幸祭の始まりを待っていのです。
八坂神社の舞殿に置かれた3基の神輿(東御座 中御座 西御座)が、出発するのを送り出すためです。
その後、東御座(四角形)、中御座(六角形)、西御座(八角形)の3基の神輿と、東御座の小神輿が、西楼門石段下の交差点で、もみ合います。大きな交差点が、神輿の担ぎ手で埋め尽くされ、大変な迫力です。
このもみ合いが終わると、3基の神輿は、別々のルートに分かれてゆきます。
この後、午後9時頃、3基の神輿は、四条寺町交差点の「御旅所」に到着します。