平将門が指導した馬術が、1000年の時を越える
900年過ぎ頃(不詳)、茨城県南部を領地としていた平将門(たいらのまさかど)が、福島県にて馬を育て馬術を教えたことが相馬の地と馬の出会いだったと思われます。
今でも、相馬は競馬馬を育てる場所であり、自宅で馬を飼っている家も多数あります。
相馬野馬追祭りには、500頭近い数の馬が参加しますが、地元の馬では足りずに、中央競馬界などから助っ人に来る馬も多数にのぼります。
本祭りの始まりは、「お行列」
南相馬市原町に雲雀ケ原(ひばりがはら)と呼ばれる広大な祭り会場があります。普段は、競馬の訓練に利用されている、競馬場になります。
朝9時半になると、原町の一直線のメインストリートを、500頭近い騎馬武者たちが行進を開始し、雲雀ケ原の会場に向かいます。沿道には、多数の観客が。
沿道の観客は、その凛々しい姿に、拍手喝采。
騎馬武者たちが身に着けている鎧(よろい)、兜(かぶと)は、本物なのです。
祭り用に造った衣装ではないのです。
祭りに雨が降ると、乾燥させるのに陰干しで半年かかると言われています。
お行列では、この鎧・兜を見るだけでも充分な価値があります。
雲雀ケ原で、甲冑競馬
雲雀ケ原の会場に行列が到着した後、12時から、甲冑競馬(かっちゅうけいば)が行われます。
背中に、家紋の入った旗差物(はたさしもの)、兜のかわりに白鉢巻を締め、1000mの馬場を走ります。
数千人?(もっと?)の観客が、一番興奮するのが甲冑競馬です。
全部で10レースありますが、もっと見たいと思います。
男に混ざって、女武者も走ります。
神旗争奪戦は、世界中でここでしか見ることができない
甲冑競馬のあとには、、馬場の内側の芝生広場で、神旗争奪戦(しんきそうだつせん)が行われます。
2台の砲台から同時に2発の「神旗」が打ち上げられます、神旗は、数百メートル上空から、風に流されながらゆっくりと降下します。
上空に赤と青の二本の神旗が落下しているのが、わかりますか。
数百頭の騎馬武者が、二手に分かれて神旗に向かいます。
騎馬武者が背中に差している、旗差物が、瞬く間に一ヶ所に集まり、その集団の真ん中に、神旗が落ちてゆきます。
この神旗を、騎馬武者たちは鞭(むち)を高く上げて絡めとります。
全部で20回行われ、充分堪能することができます。
相馬は、かろうじて原発事故の避難地域からはずれましたが、東京から常磐道で一直線だった高速道路が、いわき市から先が通行止めのままになっています。
東北道の福島インター経由の道しかなくなり、不便になっていますが、この相馬野馬追祭りが存続していることは、不幸中の幸いとも思えます。
「相馬野馬追祭り」公式サイト
http://www6.ocn.ne.jp/~nomaoi/