いままでのブログで何回か書いてきましたが、御柱祭を簡単に説明するのは難しいのです。
今回、春宮の建御柱(たておんばしら)をご紹介しますが、御柱祭を初めて知った人にとっては場所のイメージがわからないと思います。
私Takataroも、6年前に初めて御柱祭を撮影したとき、訳がわかりませんでした。
おせっかいですが、上社(本宮と前宮)、下社(秋宮と春宮)の位置関係を地図で示しておきます。
今回は、2016年5月15日(日)里曳き2日目、下社春宮の建御柱です。
春宮参道の鳥居です。
この鳥居の数百メートル先に春宮があります。
春宮参道の道路真ん中にドンと存在する下馬橋(または太鼓橋とも呼ばれる)です。
殿様もこの橋の前で馬を降りたという橋です。
春宮の境内に御柱(春宮二之御柱)を建てるための大きな穴と、櫓(やぐら)が組まれていました。
14日(土)初日、注連掛(しめかけ)を出発した8本の御柱は、その日のうちに8本すべて春宮境内に運びこまれました。
8本目の秋宮四之御柱が春宮に到着したのは深夜でした。
14日(土)に春宮に運び込まれた8本の御柱は、春宮の正面玄関から入るのではなく、春宮の東側道から境内に落とされるのです。
注連掛(しめかけ)から出発するとき崖を落とされ、春宮に到着したら、また落とされ、御柱も過酷です。
春宮の側道です。
ここから落とされます。
私は、出発点の注連掛(しめかけ)に一日いたため、ここの木落しは見ることができませんでした。
7年後、ここで撮影したいと思います。
15日(日曜日)の早朝です。
14日(土)最初に運び込まれた、春宮一之御柱だけが、14日のうちに建てられていました。
さて、前置きが長いのはいつものこと。
いよいよ。建御柱(たておんばしら)です。
春宮本殿の前庭に2本、裏山に2本の計4本が建つのですが、一之御柱が前日にすでに建てられました。
2日目に、春宮の残る三本が建てられます。
ちなみに、3日目に秋宮で四本が一斉に建てられます。
2日目の早朝、春宮二之御柱です。
すでに、冠落し(かんむりおとし)といって、御柱のてっぺんになる部分が三角錐に切り落とされていました。
春宮二之御柱が建ち上がって行く状況です。
春宮の境内は狭くはないのですが、建物や大きな樹が視界を遮るため、御柱が建ち上がるところを最初からさい疑まですべて見える場所は限られています。
また、境内には氏子の方々が大勢御柱を取り囲んでおり、その後ろには一般観客が境内を埋め尽くしています。
御柱が建ち上がってしまえば、後ろからでも見えるのですが、少しでも良い橋でと思うのであれば開始1時間前には会場に着いておいたほうが良いです。
朝8時50分、二之御柱の建御柱が始まりました。
御柱が建ち上がり、垂れ幕が下がりました。
この時点で、10時17分でした。
約1時間半かかったことになります。
これで終わりではありませんでした。
御柱の上から、ご祝儀がまかれはじめました。
御柱の上からだけでなく、地上でも、雨あられのようにご祝儀が飛び交い、観客は大喜び。
ご祝儀を集めた人の帽子を撮影させてもらいました。
上が男性、下が女性の帽子です。
一人でこれだけ集められるのですがら、まかれた量はすごいです。
お菓子だけでなく、紙に包まれた50円玉や5円玉もありました。
ミカンは上からまかれたのではなく、地上で帽子に入れてもらったということです。
二之御柱が建っている時に、裏山では三と四之御柱も建ち上がっていました。