遠州新居の手筒花火が一般的な打上げ花火大会とは別物と感じたのは、この行事の根底に諏訪神社信仰があることです。
花火開始時には、猿田彦(先導する神)が登場します。
手筒花火の合間合間に、長い棒の先に花火を散らしながら、男達がスキップのように飛び跳ねながら会場を回ります。それは、何かに感謝して、喜びを現している演劇の場面を見ているようです。
ブログラムには記載されていませんが、最初から最後まで喜びをテーマにしたストーリーを感じました。
猿田彦煙火の後半、花火会場は赤く燃え上がったようになり、その中を消費者(手筒花火を持っている人)が歩き回ります。一本の花火の噴出時間は数十秒ですが、次々と新しい花火に点火され続けます。
日本国内、ここでしか見ることができない風景です。
消費者たちは、お互いに笑いあったり、観衆に向かって手を振ったり、楽しそうです。お隣の豊橋の三河手筒花火が、仁王立ちで動かず、険しい表情で手筒花火を噴出させるのと比べて大きな違いです。
猿田彦煙火は、小脇に抱えるサイズの花火ですが、これに続いて登場するのは、大筒です。
高さが1m以上、直径が40cmほどある手筒花火です。
これを運ぶ消費者は、さすがに笑っている人はいません。必死で運んでいるという顔付になっています。
消費する花火は、自分で作成することが決まりというか、人が作ったものは怖くて扱えないということなので、この大筒も、運んでいる人が作ったものなのでしょう。
大筒を運ぶ消費者を、他の消費者が取り囲んで応援しています。
荒縄で区切られた会場には、3基の櫓(やぐら)が作られています。ヤマと呼ばれる場所です。
この3基のヤマでは、ヨウカンと呼ばれる片手で持つ小さな手筒花火に次々と点火されます。
ヤマでの点火が一段落すると、花火の付いた長い棒を持った消費者達が、会場をスキップしながら廻ります。
何かの野外劇を見ている気分になります。
その後、会場一番奥に作られた大きな櫓の下に集まった消費者たちにむかって、花火の火の粉が雨のように降りかけられます。
この火の粉を浴びることも、厄払い/災難よけの信仰なのでしょう。
その火の粉を浴びる儀式が終わると、櫓(やぐら)に固定されている大きな筒に点火されます。炎の噴出は、手筒花火の2倍くらいの高さになると思えました。
ずいぶん、はしょってしまいましたが、「遠州新居の手筒花火」の魅力が少しはお伝えできたでしょうか?
治安の厳しかった江戸時代に、これほどの火薬を使用する火祭りが認められていたということは、この新居関所、新居宿という場所が特別の場所だったのだろうということにも思いを馳せることが出来ました。