祭が、現在のように観光イベント化する以前は、それは地元に人たちの神事であり、楽しみであったはずです。
私Takataroが、多くの祭りを見て来たなかで、部外者としてカメラを持ってその場所に居ることに居心地の悪さというか、そこに居ていいのかと感じる祭りがいくつかあります。
それは、多くの観光客にまぎれて写真を撮影するのではなく、周りには地元の人しかいないといった場所に、なり行きで入り込んでしまったというパターンです。
「鞍馬の火祭」の締めとなる由岐神社御旅所が、まさにその場所でした。
チョッペンの儀のクライマックスが22時頃に終わると同時に、観客は一斉に叡山電鉄(えいざんでんてつ)鞍馬駅に殺到します。
鞍馬街道が翌朝2時まで通行止めになっているので、京都市街地に戻る手段は叡山電鉄しかないのです。残る観客は、京都市街地まで暗い鞍馬街道を歩く覚悟がある人たちです。
その叡山電鉄は単線で、終電が23時過ぎでしかも2両編成。しかも、出町柳駅(終着駅)から乗り継ぎで京都駅に行こうと思えば、鞍馬駅で22時40分頃の電車に乗らないと乗り継ぎできないのです。
それまでの大混雑が嘘のように鞍馬街道から観客の姿が消えていきます。
それとは関係なく、鞍馬の火祭は日付が替わっても、由岐神社御旅所に場所を移して続くのです。
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チョッペンの儀を終えた2基の神輿は、そのまま由岐神社御旅所に向けて運ばれます。
このとき、太鼓や鉦(かね)がけたたましく鳴り響き、松明(たいまつ)に囲まれて進行します。神輿の後ろ棒には、鎧(よろい)武者装束の男が仁王立ちしています。
松明の明かりで、逆に周りが真っ暗な中、けたたましい鳴り物が頭の中を一種の陶酔(とうすい)状況にしてしまいます。
乱れ打ちされる太鼓にあわせて、心臓がシンクロしているような気分になります。
由岐神社に到着した神輿は、武者を乗せたまま鳥居をくぐり、神輿は御旅所境内を廻った後に建物の中に安置されます。
御旅所だけで燃やされる、美しいデザインの神楽松明(かぐらたいまつ)4本に火が着けられ、神輿とともに境内を廻ります。御旅所境内が火のあかり囲まれます。
不思議な気分になります。冒頭に記載した、部外者がこの場所に居ていいのか?と自問した時です。
この神事の風景、少年がネズミのように鳥居と神輿が安置されている建物の間の参道をちょろちょろと小走りします。
氏子達が取り囲んでいるので、中で何が行われているのかほとんど見ることはできません。
これが、何を意味している儀式なのか、調べてもわかりません。
鞍馬の火祭を詳細に記載している記事を探しても、この儀式のとこだけは飛ばされているのです。
ご存知の方は。教えてください。
こうして、深夜12時半ころ直会(なおらい)でお酒が振る舞われたのち、お開きとなりました。
鞍馬の火祭が行われる10月22日は、時代祭の開催日でもあります。
両方見ることもできないわけではありませんが、鞍馬の火祭を見たければ、時代祭は京都御所の出発風景だけを見て、鞍馬に向かったこうが良いのではないかなと思います。
以上